2007-08-24 薩摩川内市船間島震洋基地跡

地図。

[撮影場所]
船間島(ふなまじま)震洋基地跡/薩摩川内市(地図)
[使用機材]
PENTAX K100D / SIGMA AF18-200mmF3.5-6.3DC
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[参考リンク]

373news.com – 県内ニュース 特攻艇「震洋」のスクリュー発見/薩摩川内
震洋特別攻撃隊
震洋特別攻撃隊/戦史
水引小学校 校区写真集

[感想]
 南日本新聞の県内ニュース 特攻艇「震洋」のスクリュー発見/薩摩川内という記事を見て薩摩川内市にも特攻基地があることを知りました。県本土内では他に、坊津、野間池、片浦、聖ヶ浦など他多数に震洋特攻基地が存在していたようです。
 特攻基地跡というのは比較的、その歴史的なことによりそれなりにわかるようになっているものですが、この「船間島震洋基地跡」についてネットで調べただけではさっぱり解りませんでした。参考リンクの「戦史」をみると「川内出口」という記載を見つけることが出来ます。他にも川内川基地という記述を見つけることが出来ました(戦争遺跡見学)。共に、第131震洋隊のことを指すもので、当サイトでは「船間島(ふなまじま)震洋基地(または川内震洋基地)」としてご紹介致します。
 実際に視察する前に経路計画や現地付近の調査、地図での確認などを行います。が、現地が特定できないために、かなり困りました。で、突撃したのは薩摩川内市 市役所。一応電話番号などもメモしておきましたが・・・。実は市役所の場所が解りづらかった。迷いました(汗)。しかも、駐輪場の場所が解らない。しかも、受付が2階にあるというトラップw。たどり着くまでに20分くらい時間のロスorz。
 受付で事情を話し知ってそうなところにコンタクトを取ってもらいました。で、結局おそらくは文化課と思われる所にたどり着き、そこから川内歴史資料館に照会が走ったようで、「しばらくお待ちください」ということに。真っ先に行くべきは「川内市歴史資料館」だったようです。ちょうど震洋のスクリューの展示もしていた最中でした(が、時間が過ぎていたので入場できなかった)。
 受付経由の話では「すでに埋め立てられている」ということ。覚悟はしていましたが・・・。
 どうも、本庁では解らないらしく(地図もFAXで届かない)、業務終了時刻となったころに「川内歴史資料館へ・・・」という話になってしまい(汗)、何処を通れば近いのか解らないなかをひたすら歴史資料館へ。駐車場裏口から入ると、正面玄関へ。この時17:20頃(汗)。
 事情を説明すると、市役所から連絡が入っていたようで、学芸員の方に場所の説明をして頂けました。質問しつつ解ったことは「埋め立てられている。指標などない。見渡せる高台はない。」ということ。「橋から見えないかな?」と思っていたのは甘かったと現地について気づいたものです。
 本当に、市役所の皆様に川内歴史資料館の皆様にはお世話になりました。ここにお礼を申しあげます。
 何はともあれ、地図をいただき、現地にGo!なのですが「車で20分くらい」と説明があっただけ有り、30分以上かかって現地に到着いたしました。「道あっているのか?」と何度停車してGPSの軌道を確認したことかw。
 ということで、ようやく写真の説明です。地図は「川内歴史資料館」で頂いた基地跡が示されたモノです。次に、ここら辺が震洋基地があったという場所(撮影場所は湯島公園の駐車場付近。戦国村の隣)。左奥には佐川急便があります。そして、その真上からみたもの(道路の下に基地があったと思われます)。この場所を見下ろすことが出来るだろう唯一の高台である「月屋山」です。
 近くの公園(湯島公園)では少年野球をやっていました。刻が移り変わる中で当時の面影はすっかり無くなってしまったようですが、過去のことまでもが忘れ去られているかのようで少々悲しいものがあります。せっかくですから、湯島公園の空きスペースにでも説明板作ってみたら如何でしょうか?
 幸いにも、出撃することなく終戦を向かえることが出来たようですが、元隊員の皆さんの苦悩というのは想像できるものではありません。
 しかし、今回のようにいろいろとご協力頂いたのは初めてでした。それはそれで良い経験なのですが・・・。

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