あの頃なりたかった俺は今の俺?

みずわり 昔、とある技術雑誌(NHK出版:エレクトロニクスライフ)の影響により「大人になったら水割り片手にこの程度の本を読めるようにならないと・・・」と思ったものです。この雑誌、IT・・・というより、電気電子系が主体な本でした。当時の自分には半分もわかりませんでした。回路設計やら、高周波設計、ASICの設計関係の情報が載っていました。この本のと或る特集のおかげ・・・正確に書くとこの本を読むキッカケとなった特集により、IT関連に強く興味を示すことになりました。それまでは「適当に高校いって・・・さぁどうしよう?」程度の進路でした。パソコンとかには昔から興味はありましたが、うちみたいな貧乏な家では簡単に手に出来る代物ではありませんでした(今と違ってかなり高価なものでした、一式80万とか普通)。
 この時点で職業系の高校に進学することにしたわけです。生徒会幹部が進学校以外に行くという風習がなかったときに、「知ったこっちゃねぇ」としてごく普通の職業系公立高校に進学したまでは良かったのです。卒業したら就職するつもりでしたし。ですが、世間の変化はそんな思惑よりも早く動いていました。普通に高校出ただけでは力が足りない・・・と考えた俺は、大学進学を考えるようになりました。
 実際に結論が出るよりも周りに流されつつあったっと云えなくもないです。高校に入学したときにすでに「将来どうするか?」が重要な問題になっていましたから。技術書から得られる情報や社会環境の変化を考えると「進学した方が良いのかなぁ?」という思いが強かったのは事実です。そんなこんなで家庭訪問がありました。進学もしたいが家庭環境やらを考えると、素直に進学とは言えません、当前。
 でも、家庭訪問で「大学進学」を強く打ち出したのは母親でした。その場にいた俺は

「(゚Д゚≡゚Д゚)ハァ?( ゚Д゚)ナニイッテルンダ?」

と一瞬状況がわからなくなりました。こんなコトがあるものか・・・と思いました。そこから、よくわからない状況で始まった進学コースが既定路線となりました。進学については職業系は圧倒的に普通科に対し不利ですが、条件さえ満たせば普通科よりも有利に進めることが出来ます。それは指定校推薦枠。推薦を受けるためには、内部基準として2つありました。一つは評定平均値を4.5以上保つ。もう一つは、目安となる資格条件などを満たす(うちの学校の場合3年春までに当時の第二種情報処理技術者試験合格を必須という条件でした)。普通教科はめっきり弱かったので専門科目で評定平均値4.9以上をたたき出して、高校二年秋に第二種情報処理技術者試験に合格したものです。はっきり言って英語の勉強するよりも圧倒的に簡単なものです(これは個人的主観によるものです)。
 ちなみにこのころの情報処理技術者試験は氏名を発表していました。今では考えられないのかも知れません。自分の名前が載っている雑誌は記念に持っています。
 センターの勉強なども必要ですから、それは普通科の先生方に添削して頂くというコトをこなしつつも一部科目では(あり得ない低い)ふざけた点数を出しつつも、一部の科目では普通科と遜色ない点数をたたき出したりしました。塾なんか行かなくたって何とかなるものなんだなぁ・・・というのは経験則なのです。入学して、一般入試の人とこのあり得ない低い点数で同じだった人がいたのは二度Σ(゚∀゚;) 。
 はっきり言って受験結果など外部に公開していませんでしたから、卒業名簿作成まで俺の合格は門外不出の情報で「お前受かってたのかよ( ゚Д゚)?」と言われたほどです(汗)。まぁ、地元には学校が少ないので受験する学校も本命と滑り止め(謎)の2校だけという・・・しかも、合格発表と入学金払込合点でバラバラという不整合ぷり・・・。忘れられません(笑)。
 時は流れ、運命のキッカケとなったエレクトロニクスライフは迷走を続けたあげくに廃刊、いろいろなことがあり、お酒が飲める年になるとIT系専門雑誌(日経情報ストラテジー、SDとか)くらいは水割り片手に読めるくらいになりました。感慨に浸ったものです。
 実は他にも遠い将来(高校の時に)特殊情報処理技術者やシステム監査を受けたい・・・と思っていても当時は年齢制限がありました。監査は27歳以上と決まっていました(10こも年上ですよ?)。いつの間にか年齢制限はなくなり、当時の制限年齢以上になった自分を省みると「もうそんな年になったのか・・・」と思ったものです。あの頃の俺にはわからなかったいろいろなことを知ることが出来たのに、あの頃の俺にあったいろいろなものを犠牲にして今の俺がいるワケです。

発達とはある意味では豊かな多くの可能性を放棄しあるひとつの狭い可能性だけを現実化していくことだ。いたずらに現在の”発達した合理的な”やり方に固執せずに…むしろそれを破壊して過去に帰り、かつて放棄した数多くの可能性を取り戻してその中から新たな選択をする方がよい時もある 。
<by 天野こずえ:クレセントノイズ(第22翼) 如月 蘭(ラグ) >

 水割り片手に学会誌や専門書程度を読めるようになりました。あの頃の俺の夢の一つは叶ったワケですが、その代償はあまりにも大きかったと思っています。あの時、「進学しなかったら良かった」と思うシチュエーションは苦しいほど感じましたが、「進学して良かった」と思いもありました。背反する状況があったのは事実です。そんなことよりも、あのとき進学なんて考えなかった方が良かったと思う懺悔にも似た後悔の方が強かった。

そう 後悔するのは 一瞬でいいのだ
昔のことで悩むなど無駄な労力なのだ
<by パンゲア

 今でもうちの馬鹿母親には約束を果たしたその底力に、俺は死ぬまで敵わないと思います。

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